堀尾貞治 HORIO SADAHARU

ぼんくら会のこと

   土師清治

「あのときのぼんくら」

堀尾貞治氏の創作活動の重要なベースのひとつに「ぼんくら会」があります。「ぼんくら」というのは神戸市兵庫区の大開駅から北へ三筋上がった北東角にあった居酒屋の名前です。そこの店の壁を借りて作品を展示し、毎月行われてきたので「ぼんくらの会」あるいは「ぼんくら会」と自然に呼ぶようになりました。

堀尾さんが亡くなった今も、途切れることなく原則第一日曜に毎月行われています。

 「ぼんくら会」は誰でも自由に参加できる会です。何の制限もありません。規則も何もなく、ひとつの会派というものではありません。会の当日集まった人がその日のメンバーというだけです。堀尾さんは会の当日画廊回りして出会った人とかに、こんな会があるんやといって連れて来られる事も多かったです。何か決める時はみんなで決めるのが基本です。

 「ぼんくら会」はメンバーの誰かがテーマを出し、次の月の会に各自がそれを考えて作品を作り、持ち寄ります。テーマは、出す人のいろいろな経験やそのときの状況から出ることが多く、とんでもないテーマも度々です。それでもひと月テーマを頭に入れて考えているわけです。何も出てこないときもあるし、得心の行く作品ができることもあります。

 会はまずテーマを出した人がなぜそのテーマを出したのかを説明し、本人も含めて順番に自分の作品についてテーマとの係わりとかもしゃべっていきます。ここで、自分の思いもつかない考え方を聞き、はっとさせられることも多く、刺激を受けること大です。

 集まったみんなが、ひとつのテーマの基に考え作品を作って参加している、ということが大事で、まさにこのテーマ性こそが「ぼんくら会」の本質だといえます。言い方を変えれば「ぼんくら会」は”ありよう”だということです。堀尾さんが抜けたあとも変わらず会が運営されていることの理由も、その辺にあるのではないでしょうか。

 「ぼんくら会」は1975年10月、堀尾貞治、森英夫、宮崎豊治の3人が「ぼんくら」へ行った時が始まりと聞きます。「神戸っ子」という月刊誌の1984年8月号に当時の「ぼんくら会」の様子を堀尾さんが寄稿しておられます。その文から当時の会の熱気が伝わってきます。この後、若い新しい人が徐々に増えてきます。

 1991年11月に”旧とよばれるメンバー”(呼びかけ文より)が企画して初期メンバーの一人、彫刻家の山口牧生氏を発起人として、「あのときのぼんくら」が「ぼんくら」で開かれました。”旧メンバー”を第一期とすれば、このころは第二期といえるでしょう。2000年代にいってしばらくして居酒屋「ぼんくら」はなくなり、野外や画廊でやるようになるのですが、これが第三期と言え、今日まで続いています。

 第一期第二期は居酒屋「ぼんくら」で開催され、ひと月間作品は店の壁に展示されていました。店が無くなった第三期は、当日限りの会となり、展示を或る期間すると云う事はなくなりました。これが作品形態にも影響を与え、パフォーマンス的な作品が増えました。

 詳しい歴史は別稿に譲りますが、人の出入りはあるにせよ、45年も続いて変わらず「ぼんくら会」が存続し、これからも続いていくであろうというのは、まさに奇跡です。

月刊こうべっこ 1984.8掲載