堀尾貞治 HORIO SADAHARU


 「SADA」のこと。

   山下克彦



「堀尾貞治」はテスクトである。
僕は僕の出会った風景を「堀尾貞治」というテクストの、ひとつの解釈として使っていたのだった。
「おっ」と出会う景色を瞬時にカメラは写すことができた。「おっ」と思ってぱっとシャッターを切るという「それだけ」の写真。
シャッターを切ることで世界と交わっている気がした。

SADAは妙な交歓だった。 写真のパースペクティブはとてもしっかりしているので、小さな一枚の写真に穴を開けたり、切ってその位置を変えたりすると、風景の空間がガラリと変化する。それがとてもおもしろくて、一日6枚のサービスサイズの写真を毎日切ったりして送った。
打てば響くというコトバがあるが、必ず打ち返してくれた。毎日送りつづけるという押し付けがましいことを、すべて受け止めてくれた。
毎日、「SADAありがとう」という書き出しでハガキをいただいた。

SADAは僕であり堀尾である。そして、僕であって僕でなく、ホリオであってホリオでない。そういったとてつもない風景だと思っています。
当たり前の「写る」ということの写真のスゴさ、豊かさの中で楽しく思いっきり、遊ばせてもらっていました。
SADAありがとうございます。