2015年7月発行海月通信第94号掲載

たった3日(5月13日水一15日金)の香港でしたが、僕にとっては夢の中の事件で、どこからこの謎のような出来事を具体的に書けるかと思う。まず自分の作品が信じられないような中から出現したという事。そしてこの作品は原口研治、山下克彦、僕の3人で今年(2015年)1月、ベルギーのアントワープで作ったものである事。そして又それが世界を相手にあることも考えると恐ろしい。自分の中でやっていることと、作品の位置のようなものが実感としてないこと等々。そういう想いを持ちながら、香港の街を眺めた。
メインストリートには2階建の電車とバスが走っている。もちろんその間、沢山の車も、ここは中国であるので日本人とかわらん毛は黒で、目も黒、そして街は漢字の看板。まるで自分のガキの故郷がここであったのかと思った。何よりも圧巻は神戸市より狭い場所に700万人がいるとか、100m〜200m余のビルが竹の子のように、自分の歩いている際から垂直に林立して、その身体の在り方か何か判らんが、気持ちがかっかさせられる。落差の空気感は知らないうちに興奮の中はめられている。最初の晩に原口さんに切符買ってもらい、2人して有名な映画「慕情」に出てきた山の上からの夜景は圧巻、感情など越えてそのまま陶酔のまま眼に映る風景を追っていた。
そして5月14日はオープンの日、簡単な一分打法のパフォーマンスをした。そこへこれからオープンするプラスワンとかいう、新しい美術館のキュウレータが来ていて、そこから聞く話も信じられないような次の新しい事が展開されるのだと。その夜メインの通りの真ん中に真っ白な和布団、3m角くらいの布団に上布団をかむり寝ている人を見る。これにはビックリで、画廊の人に警察は何も言わんのかと聞くと、笑いながらこれは昔からこのままと言う事であった。それでその昼にも空中のメインストリートに同じような布団があった。不思議な????。このように、超高層ビルの谷間に百年位ズレた昔のダウンタウンがそのままである。昔、神戸の三の宮あたりに終戦後のこっていた、靴修理や安物の衣服、日用品の雑貨。観光客相手の土産もの類等々。日々の生活、高級とは全く反対の空気があって僕は嬉しい。興奮を続けた。又、三百米程平地から山上へ向かう所から、高層ビルがぎっしり林立している間を縫って頂上近くまで、エスカレータが付いていて、僕は原口さんと一緒に頂上近くまで行ったが、その間ビルとビルの間の景観は作品(新しい美術館)の中を移動してるような充実と興奮をそのままに、香港の街の空気を、むさぼり食ったと言う感じでした。一日、九龍島といら香港島の前の島に連れて行ってもらい、又そこから見る香港島のビルのかたまり風景も圧巻で、この街の素晴らしさは永い間の中で植民地とか色々とあってそれも全部通過して、今そのまま貧富の差の形を残している。その過渡期かどうか?に現場を生きていて見れた事は最高に嬉しい時間でした。大昔(1975年)にパリの街に乞食がいっぱいいてビックリした事がある。それを先輩村上三郎に言ったら、貧富の差が大きいのは国が豊かだからと聞いた。何か判らんが僕も今の香港にはそのことを感じた。 29、May、2015