2006年9月発行海月通信第41号掲載

まだ時間があるからといって、そのことだけを考えていると、どんどん消化しているが、ほんとうは暇も多忙もなくて、時間は変わりなく動いているのであるから、暇というのは人間が勝手に、自分の都合に合わせて時間を考えているいる。
そんなことから考えると、この油断した時間にこそ意味が出てくる。その、暇という時間こそ、ものごとの核心をつく事になるのである。スポーツでも芝居でもなにごとも練習というのがあるが、この練習とは本番でない時間。やっても、やらなくてもいい時間である。このやらなくてもいいというのが、暇というのになるのであるからこの時の時間の使い方でその結果は出てくるのである。
野球の選手がよく走りこむとかバットの素振りを、何千回とやるというがそのことが本番に答えを出すのであるから、この暇な時こそ重要な時間なのである。1995年8月8日 MEMOより