2016年5月発行海月通信第99号掲載

理由などなくやることというのは、何か自分を超えたようなところから始まるので、ある意味気持ちいい。しかしこのような事が出来るのは、それこそ打てば響くという、ひとつの呼吸が合ってなければ出来ない事である。今無謀と云うかあまりにも考えがないと云うか、普通考えるとそういう馬鹿、アホ、シネ、まぬけ、×××という言葉をどっと浴びせられる事を承知で始めている。まだ入口ですが、千号を千点作るという事をやっている。
第一ラウンドを2月にして、第ニラウンド(3月)に入って、奈良額田部(喜多画廊)の広い野原のような所にキャンバスを千号ではないが、とにかく枚数を沢山並べて必死でやっている時、そこヘハチが飛んできて首筋の半年に渡るヘルペスの痛いところに刺された。それを一時治療して、一息入れて又再制作と云うか作業していると、2回目もヘルペスの残る右眉間にチクリとやられたが何と不思議、そのおかげでヘルペスがよくなって、キツネにつままれた、とよく言うけど嘘のように腫れもなく気持ちが良かったので、今だいぶん時間が経って、あれは何だったのかと思っております。
そんな事があり、昔から机の横の方に座右の銘にしている、言葉がピッタリで笑いました それはこれ→「偶然とは誠実な行為に贈られる神の荷担である」 2016年3月29日朝堀尾貞治

