やることでみえてくるもの

2017年9月発行海月通信第107号掲載

 考えていても、見えないがそれを行動におこすと、その時の自分の精神(考え)が湧いて来るようにこの頃思う。昔は今のような事は、決して出来ない。それこそ、そんな事をすると周辺から、よってたかって袋叩きにあうように思っていた。今、気がついてみると78才のオジンになっている。昔といっても40 才の頃は具体の先輩や、横並びの理屈や自分のスタイルに、がちがちになった友達ばかりだったので、今やっているような事は発想する影すらない状態で生きる創作に向かっていた。

 それがこの度まったく逆の発想。コンセプトを全面に否定するような事をしたが、別に何の反応もなく、拍子抜けをした感じである。東京・三鷹のぎやらりー由芽の「音の形」展、アトリエ西宮、大阪のLADSの「物と僕」、豊中のスペース草の小池昭子さんとの二人展、「赤なら何でもOK」。等々。特にLADSの「物と僕」という展は、僕のアトリエにある物を移動して展示しただけで、コンセプトは、今年78才になったので78の物を会場に移動し並べただけである。それがどうしたと云う感じのものである。今までずっと続けて来た事を、放棄すると云うのはちょっと勇気がいるものです。これは本人でないと実感出来ない事。
 その次も、スペース草で小池昭子さんと2人展で「赤なら何でもOK」と云うテーマで、全く打ち合わせも何もなし。搬入当日二人が持って来た、赤の物を置いただけの展でしたが、以外と豊かな広がりを感じさせてもらい、自分ではヨカッタと思った。

 こういう事はやることで、見えてくるので、昔からよく案ずるより産むが易しと云う事になるのか、しかし勇気なんだと思う。    2017年7月31日 堀尾貞治

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