あたりまえのこと<明日>

2018年7月発行海月通信第112号掲載

 2017年の年末の頃から、突発性のメニエルで左耳が聞こえんようになり、うろたえているうちに時間が過ぎ、考えてみると一年余になっている。その間、人に説明のつかないペケポンの自分を見続けてきて、今少しよくなり何か夢から覚めたような状態です。いいのか悪いのか、今生きているという実感です。そして同じ風景もメッキが剥げたように僕には違ってみえます。人間は考えでなく、体験をしたことが自分の言葉や形になっていくように思います。
 今まで大事にしてきたものが、なんの意味もないように思えて淋しいものもありますが、それが現実の姿なんだと思う。

 どこかの本の中に、今机の横に書き出してあるのですが、「明日を最も必要としないものが、最も快く明日に立ち向かう」この言葉に勇気をもらって、これから2018年5/31よりベルギーのアントワープの仕事をやる覚悟のようなものを、かみしめている日々です。   2018年3月27日 堀尾貞治

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