2003年9月発行海月通信第23号掲載

話しをするというのはまず相手の立場や相手の興味のあることを先に聞くことからはじまる。ポンプで水を出すときさそい水というのをしたことを覚えているが、相手のあり方や相手の位置がわからないでは話しというのは生まれてこない。まず相手がこっちにむかってくるように、自分の中でエネルギーを出してあたためていることである。
作品というのもそういうふうに相手がそのものにふれてくれるような何かを作っていることである。しかる后に話しというのは生まれてくると思う。
むつかしいことではなく、誰もが持っている衣食住とかいった生活とか風情とか恥話し等もさそい水となる。どうだろうかといううかがいが大事。1996年1月10日 MEMOより