2003年7月発行海月通信第22号掲載

若い頃によく先輩や叔父に 哲学を深めることだといわれた。その意味がなんであるかわからなかった。ある時哲学というのはなんのことかと辞書をひいてみると宇宙・人その根本原理を研究する学。とでていて又ある人に直接哲の意味はと聞くと、生と死の問題を考える学問と答えをもらったが、それをどのようにしていくことが、 哲学を深めることになるのかと考えたが、哲学なんてものは考えてわかるものでなく いかに頭で生きないかということのように思うようになった。
計算して作品をつくったり人のつきあいでもそうであるが頭であいてをつくったり、又は自分本意に考えを断定したり又は思惑でものごとを押しはかったりすることが哲学を深める反対のことであることがわかってきた。簡単にいうと一生懸命に誠心誠意やっていることが、どうも哲学を深めるということでないかと思う。それは自分の瑞摩憶測をはるかにこえた おもしろい動きを信じることなんかと思ったりしていると、そこに神の問題やなんかがでてきて それで哲学書の中に神の問題なんかがうるさくでてくるのかと思ったりしている。「哲学を深めることだ」とひとことでいうが言葉では単純に理解できない その人その人の体験の裏打ちがなされているのだとつくづく思う。1995年12月12日 MEMOより