2013年5月発行海月通信第81号掲載


具体展がNEW YORK GUGGENHEIMであるということは一年も前から聞いていたけれど具体的には3ヶ月前くらいのことだったし、自分が行くとも思っていなかった。松谷さんからの手紙で具体的にオープンのパフォーマンスを2人でということでどんなことになるのか、いろいろと不安をいっぱいせおってのニューヨーク入りで沢山の日本の関係者も行くと聞いていた。
僕は娘(あや)と岸川希、坂出達典で4人である、やっぱり短時間でもいろいろありました。終わってみれば結果OKで楽しいニューヨークでした。
そんなことでゴチャゴチャ想いつくまま印象だけ書きなぐります。
まず、N・Yはデカイということ。
2/11の着いた日、前日まで飛行機が止まるぐらい大雪だったということでケネディ空港の外は足元ジュクジュク、ホテルウェールズというところまでタクシーで着き,604号室のでかい部屋でびっくり荷物をあやとゴチャゴチャ広げてここがニューヨークかと。
翌日GUGGENHEIM美術館へ行く何人かの関係者と会う。ここが戦場というか場所をみる。打合せで日本から送った荷物が着いてないというのを聞かされてあやと2人大ショックで早く頭を切りかえて明日にもミシンと布を用意してやらねばと思ったりした。パフォーマンスはその日から3日先だったので、結果荷も着きOKと聞きひと安心。
連日いろいろの人の招待で夜はパーティーばかりで具体関係者のよりあいで日本と変わらない。
最初の夜のグッケンハイムの館長さんの家でパフォーマンス、ちょっとした思いつきだったが気持ちがつきあげられるようにチョークで具体と書き、吉原治良はじめなくなった人の名前を窓ガラスに連記した、イーストリバーがみえるむこうに街の灯り(魂)というか、皆んなきていると思ったものでそのことを松谷さんに伝えてもらった、ぼんくらののりでやる。
ちょっと出過ぎたかと思ったが、館長さん(モンロー)が気に入ってくれて、これはこのままにしておくといって何かほっとした。
N・Yの街はどこへ行っても、2、3百米のビルがぎっしりである。ビルの間、ストリート、AVEは一直線に切りさいた道の風景はすごい開放感を感じる、その反対に自分の際から見上げるビルは直角にせまっていて気がすくむ。
どこへ行ってもこの感じは変わらないので自然にこの圧力や言葉にならない存在のあり方がその人の精神に作用していっているのでないかと思ったりした。
2/13だった。日はあいまい、あやと岸川と坂出と僕と、4人でセントラルパークで朝食を食べてMOMA美術館に行くというので公園の中を散歩。冬やから遠い所まで一望出来ているけど樹が繁るとせんだらけになるのだと思ったりした。でかい馬に乗った女性のポリスが2乗通り過ぎたりした
とにかく広いセントラルパークを黙々と歩いたのですが、その公園を包むようにマンハッタンが片方にそびえていて、その間に田舎があるというのもマンガのように思った。話はとびます、大阪の人、絵描きさんで松田彰さんという人がおすすめやという店をあやがさがして食べに入った。名前忘れた、おいしかった。食べて出る時に川崎晃一さんが入口で入店まちしてこんなところであいさつ、びっくり世界はせまい。
この後、MOMA美術館に行く、なかなかよかった。日本の戦後の美術展をやっていて、これもGUGGENHEIMに合わせた企画でないかと思った。村上さんの投球絵画、MOMAのコレクションとか元永さんの色石のストローの作品も出ていてうれしかった。なかなかいいのが沢山あってさすがと思った。近代と現代とキチンと線わけが出来ているので、自分は好きな現代美術だけを重点にみた、リチャード・セラとか印象に残った。
もうひとつ美術館でメトロポリタンの博物館、量、展示、スゴイ。
ここだけで一週間かかっても充分みることは出来ないと思うぐらいだった。
昔ルーブルの時もそうだったが、最初は丁寧にみる。ところが、だんだんといつも思うのは、このような展示量は精神状態に暴力に近いものを感じる。
途中からみるのでなく何があるかと確かめて同じものを迷ってみないようにしていくというような精神状態になる。
MOMAを出て、このあとも坂出がチャイナタウンでめしくうというので又ぶらぶら、それらしい店がみつかって入ったら、ビールがなくてその店のおばはんが外に買いに行けということで坂出が出ていったが20分近く帰ってこなかって僕はおかしいと思った。岸川が飛び出してさがしてくるというので僕も外へ出たが又迷ったりしたらいかん思って店で待っていると、坂出があんのじょうひっくりかえってちんばで足と顔をケガして工事中のオッサンに手当てしてもらったとか。
それからぶらぶらと4人で足のむくまま行っていると、TIMES SQUARE 7thAVE,47st。ここはクリスマスの時にN・YからメリークリスマスのTVの映像に出てくるところやいうてあやから聞く。夜のアメリカ、広告、バカデカイ無数の色のネオン映像でガンガンに光が爆発したまま連続した空間が広がって、さすが僕も何か言葉も考えも忘れて新しい劇場その場所がそっくり息もつかせない劇場空間になっているのである。そこには理屈はなくただただその人の今までの視覚体験が試されてあるのみで、こうした場は説明のない力強い感動しかないものを僕は感じた。もしこれがもっと若く体験のない時であればかならず心の扉をこじあけられたであろうと思った。むつかしい美術教育など不用でこの場所に一日来ることで教育など充分でないかと思った。
松谷武判さんがチェルシーというところのリチャードギャラリーで今個展をしているというので、そこへ4人でみに行った、とても立派というか日本では考えられないスペースの画廊で個展である。スゴイと思った。写真とかでみた作品もあったが昔の古いみたことのないものでよかった。
具体の動きに合わせて世界中が動いてきていることがこの個展で実感する。
2/15夜PM6時からオープニングのパフォーマンスがせまってきた。
松谷武判さんが先にやって、その後僕という順番で最初に松谷さんが紙をはり子供たちにエンピツをくばり落書きのようなことをやるといっていたけれど、それだけでは芸がないので、前日から場をみつづけていると元永定正さんの水チューブ作品の影が床にいるのでそれをつかまえるように松ちゃんに話しOKとりスタートでうまくいく。
その次は僕であるが打ち合わせしていたこととちがって松ちゃんの書いた紙をとっておきたということで手間どる。スタートで写真屋がきていないということで30分遅れ又その上におくれたのでやきもきであった。
僕のパフォーマンスはあたりまえのこと(新聞紙と袋)というものでロビー全体に新聞紙をくちゃくちゃの玉にしてまきちらして場をうめる、それを再び布袋、鯉のぼり、吹き流し等につめて立体オブジェが出来て終わりといもので、量を沢山にしたいので時間が欲しいと思う。
そんな思いの中スタートしたので無中であった。途中声では指示出来ないと思い笛を吹く。この笛でパフォーマンスのあり方がみえたが、どのような状況かわからなかったが、館長さんモンローさんとミン・テンポ今回の主任キューレーターがかけつけてよかったといってくれてひと安心。何か涙が一気に吹き出した、その夜アートフォーラム雑誌社の社長さんの家に招待を受けてその席でとなりにいた元永定正さんの奥さんから元永さんの水チューブの影を使用した松谷さんのパフォーマンスをほめてもらいうれしかった。この影は直前のことだったので何か不思議な時間の摂理のようなものを感じた。 28、FEB、2013
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