2008年11月発行海月通信第54号掲載

この作品はなかなかいいといわれるが、よく見ると何も描いてなくて白のキャンパスに白の絵具を塗ってあるとか、丸い石であるだけで別に他に何もしていないとか、およそ絵や影刻をみた時に感じられない。ところが尊敬する先生や先輩から聞くと、いいというのは解らんものばかりである。正直に何故これがいいのですかと聞いても答えは返って来ない。いや返ってきていても、その時の僕の眼や頭では、言葉の説明をいくら受けてもわからんのである。そしたら何時しか、わからんのがええのかと云うような考えを持って日々の暮らしがはじまる。
物事の本質のようなものはやはり自分で感じ自分でやるしか答えは得られない。物は物である。誰がいらっても白いキャンバスは白いキャンバス、白い絵具は白い絵具である。なのに僕がいらうとだめになり、先生がいらうとよくなる。こんなアホなことがあるか? ところが全く自分を投げ捨ててやるとどないなもんか、先生と同じになる。いや先生よりもよくなる。ところが自分の考えや知恵で絵を描くと又、先生と違う??? このへんが何千回も何万回も繰り返しても解らんのに、やけくそでええかげんにやるとよい。
生き方でも夢中でやっていて全部自分が出ていて、自分をこえた自分でも信じられないようなことがおこる。どうも絵もこれと同じでへんな欲や色気をとっぱらってただこんなことと単純にやってしまうとよいのである。心というのはようわからんが、そんな大きな距離をいっぺんに乗り越えられるものである。勉強とか知識とかで固めたものでなく、一足飛びにおもろい所に行けるのである。1995年7月5日 MEMOより