2014年11月発行海月通信第90号掲載

2014年9月9日(火)に福山の鞆の津ミュージアムのキュレータ一の櫛野展正さんに質問を受けた。「堀尾さんにはスランプというのがないのですか」と聞かれた。この時僕は、実はそう芸う事を忘れている自分に気がついた。
昔は自分は才能がないとか、こんな事は誰かがもうやりつくしているとか、やっている事が単なる思いつきでやっている。何から何まで自信の持てない不安と頭打ちと限界、自分の精神の中に、わだかまりと不信と、自分がやる事なんか常にもうとっくに誰もやり尽くしていると決めつけていた。今、何かが変化しているのは、自分というものをなくしたのと、決めるものを失った。また別にそういうものを、持つ必要を感じない。空気という見えない人間が生きる共通項だけを、自分の中に問題としているので、逆に限界を持つと云う言葉自体けったいななモノと思う。昔はこれが自分のオリジナルとか云うものを、持とうとして、意識の中にあった時、悩み続けたが今は全く違うところで、自分の生き方を見つけている。そこにはもう何の規制も方法も在り方も無いのであるから、それこそ身勝手な事をやるしかないのである。
芸術や美しいというのも、わからなくして行く事で、芸術や美しいものは勝手に浮かび上がって来るのである。それは自分の命と云うものと眞に対峙すれば、あたりまえのことである。 2014年9月12日