2015年3月発行海月通信第92号掲載

1979年に三宮の東門街のほぼ中心にある飲み屋の2Fに東門画廊を開廊。そこでお金のない人に安く使用してもらうという考えのもと、出来るだけ前を向いた人に使用、そんなことで具象の絵とか、売りを目的にした人は全部断りして、ひたすら前を向いた現代美術を主に考えてやっていた。
そんな中に一人具象の絵を持ってきて何回も頼まれたか、自分の考えに合わなかったが、それでもまた来てするので半分しぶしぶ、かなわん奴もいると思いOKを出した。この一人が僕の芸術の在り方を、今になって考える原因になっているのではないかと想い出される。最初、個展をしたいと言った作品は、ただの誰でも描いている、俗っぽいもので、僕もパッと見てアホかと思った。そんなことがあり、断ったがまた来るし、画廊も空きが続いているので、ええかと思って許可した。
そんなことがあって忘れていて、その女性のオープンの日が来たので、東門画廊の2F階段を上がってみると、一枚の構図の40号位の風景油絵(別に何のことはない普通の絵)。広い画廊の真ん中にただ一点、その絵の前に椅子に腰掛けて座っていて、僕が話しかけてもただ青ざめて震えているだけで、ちょっと一息入れてから、何も話さない事がわかり、そのまま引き上げて気になっていたが、そのままで今 2015年−1979年=36年が経つ。
あれは一体何だったのかと思うが、あの時の彼女の命をはって震えている、自分の絵にかけたわからない情熱。それが今、僕の心に突き刺さり火をつけていた事がわかるのである。この時話さなかった事、解らない事は、そのまま僕の中に、自由と勇気と時間と共に教えてもらったと思うようになった。わからないと言う事はスゴイ宝物なんだと思う。 2015年1月30日