2015年9月20日(日)のこと

2015年11月発行海月通信第96号掲載

 大阪駅西側、旧郵便局跡から三宮(阪急山側)まで約8時間完歩。朝8時出発→、夕方4時半頃到着。

 この日の事は、前々から考えていたことであるが、ある日、水垣尚さんがリヤカーがあるというので、リヤカーを借りる話がまとまり、トントン拍子に9月20日を迎えた。無責任な言い方で、ただ「リヤカーを用意てくれ」と頼み、しかも43号線を歩くことだけを言ってのGOであった。そんなことで、口から出まかせは言ったものの、万一迷惑を掛けるような事になってはいかんので、ちょっと前から聞いていた、ミトコンドリアと言う耐久力を作る歩き方で準備はしていた。しかしヨメはんにこの話をすると、一足とびな言い方で「病院に入り」と言うし、前日には保険証を持参するようにマジ言われる、といった事があり、心は増々鬼のように燃えていた。

 当日は超日本晴で何か自然に抱きしめられるようなモノを感じた。出発、全員集合、記念写真、それととにかくリヤカーに水だけ積んで神戸まで、水をまく、しょんべんをこく、といった世界一の水のドローイングである。こんな興奮のままスタート。正直ぐるりは精神的に何も見えてなく発車オーライである。けど、気が付くというかちょっと気持ちが落ち着くと、リヤカーの横に森崎恭範、北村三男、リヤカ一后には水垣尚(リヤカーメンテナンス係)お供には、和田幸三、樋口尚、猿澤恵子、大西昇子、所薫子、春成こみち、小池昭子、岩谷和代、近藤さち子、谷中亜紀、土師清治さんが自転車で、等々西へ西へと、途中屋でインド料理の店で冷たいお薬とナンを食べる。芦屋過ぎで森崎に電話(があり)、劉さんが単車で来るとの事。途中の公園で水汲み、ひたすら歩いていると、淀川の橋を渡る時のあの広々とした、風景が浮かんで来る。この頃少し疲れて、芦屋のギャラリーPOWに寄ったり、御影辺りの沿道のニトリのトイレで再度水取り、ニトリの展示ソファーに腰掛ければ、夢の中実感・・・ひたすら43号線を無口に。沿道近くのBB美術館にも寄る。もう少しで、あれがパリの灯だ。ゴールはPM4時30分位の記憶。猿澤さんの用意の黒のガムテープを巻きつけて、万才万才後はビールで身体は夢の中に落ち込む。

 今日で4日目になるが、下唇にヘルペスが出来る。達成感である意味の疲れや距離に対する恐怖は消えた。今まで持っていた、色々の概念もとれて、中々いいもんやと今思ってる。皆々様いろいろありがとうございました。又、おもろいことやろか。  2015年9月26日(土)朝 あほ堀尾貞治

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