海月通信メモシリーズ A Matter of Course MEMO Series

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やりすぎ

2008年9月発行海月通信第53号掲載 我々の生活の中で、やりすぎという事をよくいう。 このやりすぎというのは物量のことを差していて、食事でも腹八分目というのは良いというが、100%上食べたりすると、苦しくてしんどくなる。薬でも適量というの...続きを読む
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描いたら終わり

2008年7月発行海月通信第52号掲載 絵を描き終わったので、この絵は終わり。と云うふうに、自分がしたことは終わったと考えがちである。絵にかかわらず、話でも彫刻でも、歌でも、書でもありとありとあらゆるものは、すべてその人の体験を通して又そこ...続きを読む
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3つのキーワード

2008年5月発行海月通信第51号掲載 沈黙・孤独・秘密  アール・ブリュット(生の芸術)この3つのキーワードというのは現在開催中のアール・ブリュット(生の芸術)と云う展覧会(近江八幡 ボーダレス・アートミュージアム NO-MA)の中で語ら...続きを読む
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わからんこと

2008年3月発行海月通信第50号掲載 わからんことというのは沢山あってなかなかそのわからん事を早く知ろうとする。ここのところに大変な宝の山がある。 子供の時にはいつもわからんことがあって、いろいろと大人に質問をする。それでもわからんことが...続きを読む
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話し

2008年1月発行海月通信第49号掲載 話しというのは 相手が何を考えているのかをまず考える。そして相手の気持ちをねぎらうようにして 相手のあり方をたずねる。そうすると相手は自分の事はもちろん答えるがその答えに対して、どうですかと云う風に、...続きを読む
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新しいことをすると新しい事件

2007年11月発行海月通信第48号掲載 自然というのはきちんと嘘がない。沢山の雨が降れば洪水で田や畑、家も流れてしまうが、適量なら人々が潤うというように雨ひとつでも自然にその状況は出てくる。失敗を恐れずにやればそのように形になる。 この度...続きを読む
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阪神タイガースファン

2007年9月発行海月通信第47号掲載 阪神タイガースファンというのがいるが、これは負けたり勝ったりするゲームであるので、とにかく勝たない事には人気があがらない。 ところが長い時間そのファンになっていると、負けても負けてもファンなのであるか...続きを読む
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流れ スジ(筋)

2007年7月発行海月通信第46号掲載 ものごとを行うのに、その物事のスジを間違えると動きがとまる。スジとは物事。会社でも学校でも、その組織等には必ずたての線のようなものが有り、そのたて線を横からひっぱると組織の形体が変化する。 家族でも親...続きを読む
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誤解

2007年5月発行海月通信第45号掲載 日々の普通のことが普通に受け取れていればよいのに、どこかに期待や無関心といったことで夫々の生き方が考えなくても出来てくる。 そうした違いこそが大事なのであるのに、その違いを概念や多数決や教養や意地やそ...続きを読む
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みる

2007年3月発行海月通信第44号掲載 日常の中に物をみて生活しているのであるが、本当に日々の生活の中で物を見ているだろうか。極端な話、今会った人と会話をしていて別れるとその人の着ていた服やその色でさえ見ていないことが多い。そんなことである...続きを読む