何でもやりきった人の話をきく

2003年11月発行海月通信第24号掲載

 スポーツ、歌、陶器、ありとあらゆる世界に生きる職業人の中に共通した生き方がある。それを聞いてみると夫々方法は違っていても、一つの自分のやろうとする目的に対して強引に近づけている。自分のみたいもの自分がこうありたいものである。具体的な道具や方法又は時間とか角度とか、僕の場合は現代美術であるが、例えば絵は絵具を使用しないと自分の絵が描けないと思っていた時期があった。ところが何でも使用して、より自分のみたいものいいたいことに近づけていけばいいというようなことである。


 18ぐらいの時に絵とは紙やキャンバスにものを写すことが絵を描くことであると思いつづけているところに、ある日、芦屋市展の搬入の時か、村上三郎さんという人にコップが描けなければキャンバスにそのままコップをはりつけてもいい、自分のみたいものが描けなければ、手段は選ばんと直接つけた方が早いというようなことで、いきなり自分のこれまでのキャンバスに描くという概念が、かさぶたの厚いかたまりをはがすようにとられたことを思い出す。その上に絵とは身勝手でいいのだということもききびっくりした。1997年11月14日 MEMOより

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