2011年3月発行海月通信第68号掲載

世間でいろいろと出しゃばると云うかやりすぎると、よく人は出る釘は打たれると云う。僕もながいことその言葉を信じて来ていた。なるほど政治家とか商売人、売れっ子の俳優とか、自分のスタイルを作りそれにアグラをかいている作家等々それに当てはまる事を見、また感じてきた。
自分の事もいつもそんな意味で考えてきたが、どうも違う気がして来た。この言い方はそれこそ出る釘ではないが、驕りな言い方かも知れないが、何も量や人一倍仕事をする事でなくその内容のあり方を云っていると云うことが解ってた。出る釘とは欲の事を云っているのであって量の事ではない。作品発表でも僕は人一倍ケタはずれにしているが、何も自分の慾でない内容に対して自分をめんで行くのである。それはむしろ欲でなく欲とは反対方向の事である。だから年々色々と仕事が増えてくるのであるが、僕はそう云う仕事については、やり過ぎると云う事はない。今でもまだ足りないぐらいだと思う。
ところが人間と云うのは欲でいつのまにかこれが自分だと云いだすから、ぼこんと釘の頭が出てしまうのだと思う。自分をつぶし切っているかぎりいつも釘はくい込んで、つるつるの面を持っているのだと思う。このへんの所はその人の問題であるので、僕は何とも言えないが、自分の胸に手を当てて考える時、ただ自分をどれだけつぶせるかに、その仕事のなり方が決まって来るように思う。そこにはいつも新しい風がふく。1996年11月8日 MEMOより