2004年3月発行海月通信第26号掲載

僕は会社勤めをしているので、1週間は時間が拘束される。最近では土曜日が休みになったので非常にありがたい。しかし会社勤めでの収入は生活費にいっぱいであるので、お金の自由もきかない。その上に大きい立体の作品や100号や200号の大きい作品を作るとなると、今の家では身動きが出来ない。
今回、兵庫県の近代美術館のART NOWという展覧会にさそわれて出品をきめたものの、今の現状では普通のあり方では自分の考えるようなものが出来ない。ところがそれらの悪条件というか、ないないづくめというのが今回のART NOW。アンディウォーホールのまねしん、あたりまえのこと(空気⋯)につながるのである。
まず場所は美術館、そしてお金がないので前からある身辺の材料、木材、ベニヤ、布、道具等をやれる時間で集めて用意。センプウキ、自転車、イス、石、紙、板、パイプ等々全て今まであるものと荒ゴミからの調達である。
会社づとめの間に前々からの約束の個展や案内状づくり、会社の特急工事と忙しい時に忙しいものが重なるもので、それをやり土曜日にはきちんと大阪京都の個展もみてまわる。そうしながら電車の中とか食事の時に考えつくことはやり、家にかえると具体的にキャンバスの枠の寸法切り等々前準備をかさねる。その間N画廊からの200点の作品の注文がある。それもやりながら平行してART NOW の作品の構想まとめ。11/26.27.28の美術館での3日間で勝負に入る。メンバーは僕を入れて5人である。こうしてART NOWはお金・時間・場所の3つをこの3日間で爆発させるべくやる。そこにはいいものであるとか個人の感傷は入り込む余地なく時間との競争である。ただ方法が変わりやれるようにやっていくのである。
こうした一連のやり方のベースは時間もお金も場所もないからで、その発想のあり方が自由に選べたので大きい動きになったと思う。1996年12月4日 MEMOより