みる

2007年3月発行海月通信第44号掲載

 日常の中に物をみて生活しているのであるが、本当に日々の生活の中で物を見ているだろうか。極端な話、今会った人と会話をしていて別れるとその人の着ていた服やその色でさえ見ていないことが多い。そんなことであるので自分が関心を寄せている事で、その物の本質でそのものが本当に見えているかと考える時何も見えていない事を痛感するのである。

 僕は現代美術のようなことに関心があるが、今までよく解って見ていた事も時間がたつと昔見ていた見方と、今見ている見方が違っていることに気付くが、それをよく時間をかけて考えてみるとその物の本質やあり方でなく、知識であったり、人の目であったり、観念であったり、等々自分の心と目とで静かに本質を捉えていないような事に気づく。みると云うか、みえてくるのは長い時間と体験で自分の哲学を深めたところから、そのものが又新しくみえて来るのだと思う。

 昔ある人から聞いた話ですが、同じ映画を見て喫茶店でお茶を飲みながら映画の話をしていて、その場面はなかったと云ってけんかをしたとか聞いたが、恥ずかしいが僕はずっとそのケンカをしているように思う。1997年11月13日 MEMOより

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