海月通信メモシリーズ A Matter of Course MEMO Series

行為について

2012年1月発行海月通信第73号掲載 展覧会を次々とやるというのは、何も自分の為にやるのでない。自分の為にやっている事なら、必ず疲れて倒れるはずである。展覧会は、神の為にやるのであって、自分がどれだけ前に向いてメッセージを投げているかであ...続きを読む
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ひとつひとつ

2011年11月発行海月通信第72号掲載 このところバタバタしていて、自分がどこにいるのかわからん とても無責任な状態で走っていて、こんな事でいいのかと思う。 今日も福山の「アートウォーク2011」へ娘のあやと来ているのですが、駅前の天満屋...続きを読む
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美術と日常

2011年9月発行海月通信第71号掲載 美術と云うのは、人道的な義理と人情とか情感とか、我々の生活の何かと関連するような事とは違うこと。まったく違う場所に光を当てるような事件である。何故とかどうしてとか云う説明や問いかけでない世界の事である...続きを読む
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創作の楽しさ

2011年7月発行海月通信第70号掲載 創作の楽しさというのは、自分もわからん自分をみる事である。それは常に我々の頭や観念ではなく、リアルに出来ているものである。 自分が一番喜べるのは初めてみることの歓びである。思いがけないものと遭遇したと...続きを読む
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具体的なこと

2011年5月発行海月通信第69号掲載 ものごとをするのにいつも思うのは、こんな感じとか、これぐらいは出来るだろうか、とかと云う感じの事をすると、なかなか仕事がはかどらないことが多い。それは際限もない事と繋がっているからではないかと思ったり...続きを読む
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出る釘は打たれる

2011年3月発行海月通信第68号掲載 世間でいろいろと出しゃばると云うかやりすぎると、よく人は出る釘は打たれると云う。僕もながいことその言葉を信じて来ていた。なるほど政治家とか商売人、売れっ子の俳優とか、自分のスタイルを作りそれにアグラを...続きを読む
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先入観

2011年1月発行海月通信第67号掲載 よく人の噂でその人を判断してその人のあり方を決めてかかるような事をする。 先入観ということであるが、何事もその時その時人は変化し、常によい方向にあろうとして、人に誤解されたり、又は失言をする。もちろん...続きを読む
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しょうもないこと

2010年11月発行海月通信第66号掲載 何かしようとすると、ことさら意識して絵をつくったりものをつくるが、その反対のしょうもない事は出来にくい。しかしその出来にくい事が、ことさら物をつくるより拡がりや問題を持ってくる。 そのしょうもないと...続きを読む
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整理整頓と意思

2010年9月発行海月通信第65号掲載 日々の身辺の仕事をやりっぱなしにしていると、いつの間にか一つ一つが集積して部屋の中が一杯になる。これは片付けようと云う意思がない為に、ものを全部そのままと云う形にしているからである。だからこの意思の方...続きを読む
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仕事

2010年7月発行海月通信第64号掲載 このことをやらねばならんと云う具体的な仕事を持つ事である。しかしその仕事が自分の中で完成したなどと云う気持ちが生まれるとその仕事は終わりである。常に新しい試みと冒険。その連続が仕事である。 仕事とはい...続きを読む