相手にあわせる

2005年11月発行海月通信第36号掲載

 作品を作るというのは色々と考えて、その考えに合わせて作品を作るというのが普通のモノ作りの方法のように思う。だから道具や材料がないと出来ないという事になるので、たいそうに考えてどうもその入口で大変な事になるようだ。

 僕のモノ作りは昔20才頃はやはりそうだったが、この頃は時間もお金も場所もないので、何時の頃かモノ作りの発想ややり方が変わっている事に気が付くのですが、普通のやり方とは逆のやり方でモノを作っているようである。普通は自分の考えにモノを合わせるやり方であるが、僕はそこにある箱であるとか壊れた人形とか石とか鉄とかありとあらゆる材料で、判り易くいうとゴミを使用しているので身辺にあるものを即そのものに合わせてそのものがもっとも喋るように変身させる事に喜びを感じるのである。

 そういうやり方は「分別がない」とか「短絡」とか「はったり」「でたらめ」「インチキ」「ゴマカシ」はたまた人を馬鹿にしているとか等々言われるが、それはよくよく聞いてみると、その人その人のやり方と反対のやり方であるので、その人にとってはカナワン在り方をしていると言っている事が判ってきた。絵を作るのに、この方法でないと「いかん」と言うのは何一つないのがモノを作る楽しさであるのに何時の間にか「こうあらねば」という考えが作られているようだ。

 相手に合わせるという僕のやり方が正しいとは言わないが、どうもモノを作る方法としてはめちゃ早い。これは作品づくりだけでなく人間の生き方もそうではないかと思う。1996年2月23日 MEMOより

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